はじめに
日本のダムの情報をお探しですか?日本のダム情報、日本のダム商品、日本のダム関連の情報を集めてみました。検索エンジンで日本のダムを検索するよりもディープな内容が紹介できるかもしれません。日本のダムに関連する他の情報も取り揃えています。 日本のダム
本項目では日本のダム、すなわち日本国内に建設され管理・運用されているダムについて、特に治水・利水を#利用目的 目的としたものを中心に扱う。
日本のダムの定義は河川法において「高さが15m以上の堰堤」としている。これ以下の堰堤についてはたとえ「ダム」という名称が付いたとしても、法的には堰として扱われる。
日本において建設されるダムの目的は多岐にわたるが、主なものとしては治水目的(洪水調節・農地防災・流水機能維持)と利水目的(灌漑・上水道供給・工業用水供給・水力発電・消流雪用水・レクリエーション)に大別される。単独の目的を持つダムもあれば、複数の機能を併設するダムもある。前者は治水(国土交通省直轄ダムは洪水調節、農林水産省直轄ダムは農地防災と称している)ダム・灌漑用ダム・発電ダム等とそれぞれの目的を冠した呼ばれ方をするが、後者は一般に多目的ダムと一般に呼ばれる。なお、砂防が目的の砂防ダムや鉱滓(こうさい、スラグのこと)を貯留する鉱滓ダムは貯水機能を有さず、目的が全く異なるため、ダムとしては別扱いとなる。
日本のダムの歴史
日本のダムの歴史では、日本におけるダムの歴史を時代ごとに詳述する(全体を通した年表については日本ダム史年表参照)。
日本におけるダムの歴史は616年に完成した狭山池 (大阪府) 狭山池ダムより始まる。以降時代の変遷と共にダム建設の目的・技術・意義そしてダムを取り巻く様々な事情も変わっていく。
出来事
日本のダム事業史を語る上で、冒頭に挙げなければならないダムとして狭山池 (大阪府) 狭山池と満濃池 満濃池がある。
狭山池は古事記や日本書紀にも記載があるダムで、日本最古のダムと呼ばれているが完成年が判明したのはダムに使用されていた木製の樋管を年輪年代測定法によって調べたことによるもので、飛鳥時代の616年完成であった(なお、樋管は大阪府立狭山池博物館に保存されている)。大化の改新で全国の農地が公地公民制で国有化され、狭山池ダムも大和朝廷の直轄施設となった。奈良時代の732年、狭山池は大改修が行われるがその総指揮を執ったのは後に聖武天皇に招聘され東大寺大仏建立にも携わり、大僧正の位まで上り詰めた僧行基であった。日本各地を巡り布教した行基は各地で土木事業を行っていたが狭山池ダムの嵩上げ大改築にも携わった。狭山池は慶長年間にも摂津国 摂津大坂城主・豊臣秀頼の命を受けた家老・片桐且元の手で改修された(慶長の大改修)。関ヶ原の戦いで天下人の後継者から1城主に転落した秀頼の数少ない内政でもあった。現在狭山池ダムは1980年(昭和55年)より21年を費やして従来の灌漑目的に加え日本のダム#ダム諸元に関する記述 洪水調節機能を兼備した多目的ダム#補助多目的ダム 補助多目的ダムとして再開発がなされた(平成の大改築)。現在は大阪府土木部ダム砂防課が管理している。
本項目では日本のダム、すなわち日本国内に建設され管理・運用されているダムについて、特に治水・利水を#利用目的 目的としたものを中心に扱う。
日本のダムの定義は河川法において「高さが15m以上の堰堤」としている。これ以下の堰堤についてはたとえ「ダム」という名称が付いたとしても、法的には堰として扱われる。
日本において建設されるダムの目的は多岐にわたるが、主なものとしては治水目的(洪水調節・農地防災・流水機能維持)と利水目的(灌漑・上水道供給・工業用水供給・水力発電・消流雪用水・レクリエーション)に大別される。単独の目的を持つダムもあれば、複数の機能を併設するダムもある。前者は治水(国土交通省直轄ダムは洪水調節、農林水産省直轄ダムは農地防災と称している)ダム・灌漑用ダム・発電ダム等とそれぞれの目的を冠した呼ばれ方をするが、後者は一般に多目的ダムと一般に呼ばれる。なお、砂防が目的の砂防ダムや鉱滓(こうさい、スラグのこと)を貯留する鉱滓ダムは貯水機能を有さず、目的が全く異なるため、ダムとしては別扱いとなる。
日本のダムの歴史
日本のダムの歴史では、日本におけるダムの歴史を時代ごとに詳述する(全体を通した年表については日本ダム史年表参照)。
日本におけるダムの歴史は616年に完成した狭山池 (大阪府) 狭山池ダムより始まる。以降時代の変遷と共にダム建設の目的・技術・意義そしてダムを取り巻く様々な事情も変わっていく。
出来事
日本のダム事業史を語る上で、冒頭に挙げなければならないダムとして狭山池 (大阪府) 狭山池と満濃池 満濃池がある。
狭山池は古事記や日本書紀にも記載があるダムで、日本最古のダムと呼ばれているが完成年が判明したのはダムに使用されていた木製の樋管を年輪年代測定法によって調べたことによるもので、飛鳥時代の616年完成であった(なお、樋管は大阪府立狭山池博物館に保存されている)。大化の改新で全国の農地が公地公民制で国有化され、狭山池ダムも大和朝廷の直轄施設となった。奈良時代の732年、狭山池は大改修が行われるがその総指揮を執ったのは後に聖武天皇に招聘され東大寺大仏建立にも携わり、大僧正の位まで上り詰めた僧行基であった。日本各地を巡り布教した行基は各地で土木事業を行っていたが狭山池ダムの嵩上げ大改築にも携わった。狭山池は慶長年間にも摂津国 摂津大坂城主・豊臣秀頼の命を受けた家老・片桐且元の手で改修された(慶長の大改修)。関ヶ原の戦いで天下人の後継者から1城主に転落した秀頼の数少ない内政でもあった。現在狭山池ダムは1980年(昭和55年)より21年を費やして従来の灌漑目的に加え日本のダム#ダム諸元に関する記述 洪水調節機能を兼備した多目的ダム#補助多目的ダム 補助多目的ダムとして再開発がなされた(平成の大改築)。現在は大阪府土木部ダム砂防課が管理している。









