はじめに
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蒲原(かんばら)
静岡県庵原郡蒲原町(現・静岡市清水区) - 東海道五十三次の15番目の宿場 蒲原がある
新潟県の東蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡、北蒲原郡、中蒲原郡
蒲原駅 (福岡県)
『矢部線』より : 矢部線(やべせん)とは、福岡県筑後市の羽犬塚駅と八女郡黒木町の黒木駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法 国鉄再建法施行にともない第1次特定地方交通線に指定され、1985年に全線が廃線 廃止された。
なお、線名の「矢部」とは、予定線の終点とされた八女郡矢部村のことである。
管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):羽犬塚〜黒木 19.7km
軌間:1067mm
駅数:10駅(起点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式
鉄道敷設法 改正鉄道敷設法別表第111号の2に規定する予定線「福岡県羽犬塚ヨリ矢部ニ至ル鉄道」の一部で、1936年に追加されたものである。沿線には軍事施設や関連の工場が多かったため、太平洋戦争が激化し、不要不急線 不要不急とされた鉄道路線が次々と休止に追い込まれる中、建設工事が続行され、終戦後の1945年12月にすでに路盤の完成していた羽犬塚から黒木までが開業となった。太平洋戦争が終結してからわずか4ヶ月、日本の鉄道路線では終戦後初めて開通した記念すべき路線である。
蒲原鉄道
蒲原鉄道株式会社(かんばらてつどう、Kanbara Tetsudo Co., Ltd.)は、新潟県五泉市(旧中蒲原郡村松町)に本社を置くバス会社。五泉市・加茂市に路線網を持つ。路線バスの他、貸切バス、タクシー、旅行業等も行っている。地元では「蒲鉄(かんてつ)」と略称される。
新潟県五泉市村松甲1364(村松駅バスターミナル内)
1922年9月22日 設立
1923年10月20日 鉄道線・村松〜五泉間開業
1930年7月20日 同・東加茂〜村松間開業
1930年10月20日 同・加茂〜東加茂間が開業し、鉄道線が全線開通
1951年5月9日 路線バスの運行を開始
1953年3月18日 貸切バス事業を開始
1972年1月8日 旅行業の取扱いを開始
蒲原町
廃止日=2006年3月31日
廃止理由=編入合併
廃止詳細=蒲原町→静岡市
現在の自治体=静岡市清水区
自治体名=蒲原町
区分=町
都道府県=静岡県
支庁=
郡=庵原郡
コード=22382-4
面積=14.69
境界未定=なし
人口=13,054
人口の時点=2006年1月1日
隣接自治体=富士市・由比町・富士川町
蒲原宿
『蒲原町』より : 廃止日=2006年3月31日
廃止理由=編入合併
廃止詳細=蒲原町→静岡市
現在の自治体=静岡市清水区
自治体名=蒲原町
区分=町
都道府県=静岡県
支庁=
郡=庵原郡
コード=22382-4
面積=14.69
境界未定=なし
人口=13,054
人口の時点=2006年1月1日
隣接自治体=富士市・由比町・富士川町
蒲原鉄道線
蒲原鉄道線(かんばらてつどうせん)は、かつて蒲原鉄道が運営していた、新潟県加茂市の加茂駅 (新潟県) 加茂駅から中蒲原郡村松町(現・五泉市)を経由して五泉市の五泉駅までとを結んでいた鉄道路線である。
1985年春を以って加茂〜村松間が廃止となり、村松〜五泉間を結ぶ、僅か4.2kmのミニ路線として知られていたが、1999年秋に全線が廃線 廃止された。
(加茂〜村松間廃止直前のデータを示す)
路線距離(営業キロ):21.9km
軌間:1067mm
駅数(起終点駅を含む):15駅
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流電化 直流600V)
閉塞方式:タブレット閉塞式(東加茂〜村松間)、スタフ閉塞式(加茂〜東加茂間、村松〜五泉間)
蒲原駅
蒲原駅(かんばらえき)は、静岡県静岡市清水区蒲原堰沢にある東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の鉄道駅 駅である。
2面3線のプラットホーム ホームを持つ地上駅。中線は待機列車が使用する。コンクリート造り一部二階建ての駅舎があり、内部には待合所、窓口のほか自動券売機などがある。鉄道駅#直営駅 直営駅でみどりの窓口の設置駅となっている。
駅の南約100メートルには海岸線が、そのすぐ北側には国道1号が、東西に走っている。
蒲原中郵便局
1890年5月16日 - 開業。
もともと蒲原は東海道五十三次15番目の宿場町であり、東海道本線の開業当初は蒲原町に駅が設けられる予定になっていた。しかし隣村の岩淵村などが積極的な誘致を行って岩淵駅(現、富士川駅)が岩淵村隣の中之郷村(いずれも現、富士川町)に設けられたため、蒲原には駅が置かれなかった、蒲原町ではこれではならじと東海道本線の開業後にも誘致合戦を行い、同線の開業から1年3ヶ月たってようやく蒲原駅が設けられる事になったのである。しかし旧蒲原宿のあったところに設けると岩淵駅から近くなってしまい、また隣の由比町からも駅設置の請願があったため、結局蒲原と由比の間にある旧堰沢村の位置へ蒲原駅は設けられた。
蒲原大堰
蒲原大堰(かんばら−)は新潟県三条市、信濃川本川の中の口川分流部に建設された堰である。
蒲原地域は近世以降、多くの為政者によって河川改修が行われた。端緒となるのは1597年(慶長2年)、越後春日山城主上杉景勝による河川改修である。この陣頭指揮を執ったのが執政である直江兼続である。燕三条付近の洪水調節と上杉軍の拠点施設を水害から守る為、信濃川から中の口川を掘削・分流させた。江戸時代、越後長岡藩 長岡藩9代藩主・牧野忠精は蒲原平野の悪水を日本海に排出する大工事を手掛け、この地域は穀倉地帯に変貌。人口も次第に増えていった。だが、大雨が降る度に洪水被害を受ける水害常襲地帯である事、渇水時には中の口川の流水が信濃川に流出し灌漑や水運に影響を及ぼしていた。この為、根本的な洪水調節と安定した流水維持が課題となった。
蒲原有明
蒲原 有明(かんばら ありあけ、1875年3月15日 - 1952年2月3日)は、日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。東京生れ。
象徴派詩人として『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた。
1875年3月15日、東京麹町隼町に、蒲原忠蔵、石川ツネ(1879年入籍、のち離婚)の子として生れた。地名にちなみ隼雄と名付けられた。平河小学校(麹町小学校)、東京府立尋常小学校を卒業し、第一高等中学校を受験したが失敗。国民英学会で学び、卒業後小林存や山岸荷葉らと同人雑誌「落穂双紙」を発刊し、ここに初めて詩を載せた。
当初は小説も書いたが、詩に専念する。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ D.G.ロセッティの訳詩や、新体詩集『草わかば』を出した。さらに上田敏の訳詩に強く影響を受け、『独絃哀歌』『春鳥集』を経て『有明集』で象徴詩手法を確立し、薄田泣菫と併称された。大正以後は文壇を離れた。
蒲原郡
令制国一覧 > 北陸道 > 越後国 > 蒲原郡
蒲原郡(かんばらぐん)は越後国にかつて存在した郡である。古代の文献には「かむはら」の訓もみられ、また中世には「神原」と記載されることもあった。現在の下越地方南部と中越地方北部、およそ信濃川・阿賀野川の下流域がその範囲にあたる。
当初は越中国に属していたが、大宝 (日本) 大宝2年(702年)に頸城郡・魚沼郡・古志郡とともに越後国に管轄を移された。古代から中世にかけてのある時期に北部の沼垂郡(北蒲原郡にほぼ相当する地域)を編入したが、その時期は明らかでない。
消滅した郡の一覧
越後国 郡かんはら
新潟県の郡 (消滅)
蒲原(かんばら)
静岡県庵原郡蒲原町(現・静岡市清水区) - 東海道五十三次の15番目の宿場 蒲原がある
新潟県の東蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡、北蒲原郡、中蒲原郡
蒲原駅 (福岡県)
『矢部線』より : 矢部線(やべせん)とは、福岡県筑後市の羽犬塚駅と八女郡黒木町の黒木駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法 国鉄再建法施行にともない第1次特定地方交通線に指定され、1985年に全線が廃線 廃止された。
なお、線名の「矢部」とは、予定線の終点とされた八女郡矢部村のことである。
管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):羽犬塚〜黒木 19.7km
軌間:1067mm
駅数:10駅(起点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式
鉄道敷設法 改正鉄道敷設法別表第111号の2に規定する予定線「福岡県羽犬塚ヨリ矢部ニ至ル鉄道」の一部で、1936年に追加されたものである。沿線には軍事施設や関連の工場が多かったため、太平洋戦争が激化し、不要不急線 不要不急とされた鉄道路線が次々と休止に追い込まれる中、建設工事が続行され、終戦後の1945年12月にすでに路盤の完成していた羽犬塚から黒木までが開業となった。太平洋戦争が終結してからわずか4ヶ月、日本の鉄道路線では終戦後初めて開通した記念すべき路線である。
蒲原鉄道
蒲原鉄道株式会社(かんばらてつどう、Kanbara Tetsudo Co., Ltd.)は、新潟県五泉市(旧中蒲原郡村松町)に本社を置くバス会社。五泉市・加茂市に路線網を持つ。路線バスの他、貸切バス、タクシー、旅行業等も行っている。地元では「蒲鉄(かんてつ)」と略称される。
新潟県五泉市村松甲1364(村松駅バスターミナル内)
1922年9月22日 設立
1923年10月20日 鉄道線・村松〜五泉間開業
1930年7月20日 同・東加茂〜村松間開業
1930年10月20日 同・加茂〜東加茂間が開業し、鉄道線が全線開通
1951年5月9日 路線バスの運行を開始
1953年3月18日 貸切バス事業を開始
1972年1月8日 旅行業の取扱いを開始
蒲原町
廃止日=2006年3月31日
廃止理由=編入合併
廃止詳細=蒲原町→静岡市
現在の自治体=静岡市清水区
自治体名=蒲原町
区分=町
都道府県=静岡県
支庁=
郡=庵原郡
コード=22382-4
面積=14.69
境界未定=なし
人口=13,054
人口の時点=2006年1月1日
隣接自治体=富士市・由比町・富士川町
蒲原宿
『蒲原町』より : 廃止日=2006年3月31日
廃止理由=編入合併
廃止詳細=蒲原町→静岡市
現在の自治体=静岡市清水区
自治体名=蒲原町
区分=町
都道府県=静岡県
支庁=
郡=庵原郡
コード=22382-4
面積=14.69
境界未定=なし
人口=13,054
人口の時点=2006年1月1日
隣接自治体=富士市・由比町・富士川町
蒲原鉄道線
蒲原鉄道線(かんばらてつどうせん)は、かつて蒲原鉄道が運営していた、新潟県加茂市の加茂駅 (新潟県) 加茂駅から中蒲原郡村松町(現・五泉市)を経由して五泉市の五泉駅までとを結んでいた鉄道路線である。
1985年春を以って加茂〜村松間が廃止となり、村松〜五泉間を結ぶ、僅か4.2kmのミニ路線として知られていたが、1999年秋に全線が廃線 廃止された。
(加茂〜村松間廃止直前のデータを示す)
路線距離(営業キロ):21.9km
軌間:1067mm
駅数(起終点駅を含む):15駅
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流電化 直流600V)
閉塞方式:タブレット閉塞式(東加茂〜村松間)、スタフ閉塞式(加茂〜東加茂間、村松〜五泉間)
蒲原駅
蒲原駅(かんばらえき)は、静岡県静岡市清水区蒲原堰沢にある東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の鉄道駅 駅である。
2面3線のプラットホーム ホームを持つ地上駅。中線は待機列車が使用する。コンクリート造り一部二階建ての駅舎があり、内部には待合所、窓口のほか自動券売機などがある。鉄道駅#直営駅 直営駅でみどりの窓口の設置駅となっている。
駅の南約100メートルには海岸線が、そのすぐ北側には国道1号が、東西に走っている。
蒲原中郵便局
1890年5月16日 - 開業。
もともと蒲原は東海道五十三次15番目の宿場町であり、東海道本線の開業当初は蒲原町に駅が設けられる予定になっていた。しかし隣村の岩淵村などが積極的な誘致を行って岩淵駅(現、富士川駅)が岩淵村隣の中之郷村(いずれも現、富士川町)に設けられたため、蒲原には駅が置かれなかった、蒲原町ではこれではならじと東海道本線の開業後にも誘致合戦を行い、同線の開業から1年3ヶ月たってようやく蒲原駅が設けられる事になったのである。しかし旧蒲原宿のあったところに設けると岩淵駅から近くなってしまい、また隣の由比町からも駅設置の請願があったため、結局蒲原と由比の間にある旧堰沢村の位置へ蒲原駅は設けられた。
蒲原大堰
蒲原大堰(かんばら−)は新潟県三条市、信濃川本川の中の口川分流部に建設された堰である。
蒲原地域は近世以降、多くの為政者によって河川改修が行われた。端緒となるのは1597年(慶長2年)、越後春日山城主上杉景勝による河川改修である。この陣頭指揮を執ったのが執政である直江兼続である。燕三条付近の洪水調節と上杉軍の拠点施設を水害から守る為、信濃川から中の口川を掘削・分流させた。江戸時代、越後長岡藩 長岡藩9代藩主・牧野忠精は蒲原平野の悪水を日本海に排出する大工事を手掛け、この地域は穀倉地帯に変貌。人口も次第に増えていった。だが、大雨が降る度に洪水被害を受ける水害常襲地帯である事、渇水時には中の口川の流水が信濃川に流出し灌漑や水運に影響を及ぼしていた。この為、根本的な洪水調節と安定した流水維持が課題となった。
蒲原有明
蒲原 有明(かんばら ありあけ、1875年3月15日 - 1952年2月3日)は、日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。東京生れ。
象徴派詩人として『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた。
1875年3月15日、東京麹町隼町に、蒲原忠蔵、石川ツネ(1879年入籍、のち離婚)の子として生れた。地名にちなみ隼雄と名付けられた。平河小学校(麹町小学校)、東京府立尋常小学校を卒業し、第一高等中学校を受験したが失敗。国民英学会で学び、卒業後小林存や山岸荷葉らと同人雑誌「落穂双紙」を発刊し、ここに初めて詩を載せた。
当初は小説も書いたが、詩に専念する。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ D.G.ロセッティの訳詩や、新体詩集『草わかば』を出した。さらに上田敏の訳詩に強く影響を受け、『独絃哀歌』『春鳥集』を経て『有明集』で象徴詩手法を確立し、薄田泣菫と併称された。大正以後は文壇を離れた。
蒲原郡
令制国一覧 > 北陸道 > 越後国 > 蒲原郡
蒲原郡(かんばらぐん)は越後国にかつて存在した郡である。古代の文献には「かむはら」の訓もみられ、また中世には「神原」と記載されることもあった。現在の下越地方南部と中越地方北部、およそ信濃川・阿賀野川の下流域がその範囲にあたる。
当初は越中国に属していたが、大宝 (日本) 大宝2年(702年)に頸城郡・魚沼郡・古志郡とともに越後国に管轄を移された。古代から中世にかけてのある時期に北部の沼垂郡(北蒲原郡にほぼ相当する地域)を編入したが、その時期は明らかでない。
消滅した郡の一覧
越後国 郡かんはら
新潟県の郡 (消滅)









